島田警部補が三木さんチに来合わせていたのは、全くの偶然…とも言い難く。この数日ほど、ご町内で不審車両が頻繁に目撃されており、名士のおられる土地柄から それなりの格がある担当者が担当し対処にあたっておりますと、示す必要があったとかなかったとか。そして、
『兵庫殿へああと言い張ったすぐ後で、
その“不審車”情報をディスクへ落としたの、
儂へと差し出したんじゃあ 説得力はなかったなぁ。』
そんな微妙なやり取りの後だったせいもあってか。せっかくの逢瀬がこんな団体でのそれとなろうとは、シチさんだけじゃない勘兵衛殿にも残念でしょうから。せめて帰り道くらいは、二人きりのがいいでしょう…と。買い物の途中で立ち寄った格好の五郎兵衛が、それでと乗りつけた車で送ろうかというお言葉を、横合いから平八が塗り潰すようにそうと言い張り。その場に居合わせた当事者以外の顔触れが“ああ”と手を打ったのは、見ようによっては それもまた何だか微妙な光景だったが。(笑)
「…で、そんな運びになってしまって。」
「さようか。それは難儀なことだったな。」
壮年殿も車で乗りつけはしたものの、一緒に足を運んでいた佐伯刑事がその車で警視庁へと帰ってしまっての徒歩状態。タクシー乗り場のあるJR駅目指して、他愛ない話をしつつ、三木邸のあった静かなお屋敷町から、ゆったりとした傾斜の坂を下ってゆくと。昼間の少し高めだった気温の余波をなじませた風が、時折彼らの髪をなぶっていたものが、徐々に傍らの車道を行き来する車の起こす風との別を、つけられなくなって来て。
「…大丈夫か?」
少々空気が悪くなったせいか、七郎次がハンカチを口元へと当てたのを見て。車を呼ぼうかと、仕事着でもあるジャケットのポケットへ、手を入れかかった勘兵衛だったのへ、
「いえ、平気です。」
かぶりを振ってにこりと微笑う。だって、少しでも長く一緒にいたいのだものと、そんな心理からの“平気発言”なのは明白だったが。そんな健気さを今の彼女へ植えたのは、間違いなく自身のつれなさのせいだと、それこそ重々承知の勘兵衛としては。こんなささやかな一時でさえ、何より希少で大事だと思ってくれる少女のいじらしさに、何とはなく胸の奥をつつかれて落ち着けない。部下の征樹から、常々のこととして“電話したのか、メールしたのか”と口うるさいほど言われている折には、欠片ほども感じない焦燥のようなものが、さすがに本人を目の前にすると、謂れのないことでなしということ、ちくちくと沸き立って来るようで。黄昏どきになってもまだまだ明るい中、連れの歩調を意識してのんびりと歩み続けておれば。この好天に誘われたものか、窓を開けて走行している車もあるようで。誰の何の曲なのか、やたらに重たげなビートばかりがズシンズシンと漏れているのが後方からさあっと近づいて来て。車高のやたら低い、スピード出し過ぎの感が強い、ブロンドグラスの怪しいセダンが二人を追い抜くように駆け去ったのだが。ちょうど追い抜いたその刹那、
「おっ、何だなんだ。凄げぇ良い女っ。」
「そんなおっさんと、さては援交かっ?」
数人分の声にて ぎゃははははっと、何とも下品な笑い声を残して去っていった、失敬極まりない連中であり。あのような下卑た物言いの垂れ流しをして、恥ずかしくない厚顔な連中というのは何処にでもいるものかと。憤慨や羞恥が浮かぶより、まずはと呆れてしまった勘兵衛だったものの、
「……シチ?」
胸元へ小さな手を伏せて立ち止まった七郎次だと気がつき、ああそうだ、この子は深窓の令嬢なんだとあらためて思い出す。おきゃんで元気、溌剌としている子じゃああっても、あのような喚声は、柄が悪いばかりの汚さや強さだったことから、言われのない罵声に近く聞こえたかも知れぬ。歩みを寄せて、うつむきかかったお顔を覗き込めば、どこか呆然としているのが、やはり何かしら叩かれたような衝撃を感じたせいだと思わせて。明るいがそれでも、空気の中や風の中に淡く混ざり込んでた茜色が、少女の淡い金の髪色の輪郭をますますのこと滲ませる。
「………何でもな…。」
平気だと気丈にも言いかけた声が、だが、何かしらの感情に飲まれたらしく。ボートネックになったシャツの襟元近く、伏せられていた白い手が節をなお白くするほど堅く握られてしまう。そんな彼女を気遣ってのこと、間近まで歩み寄れば、そんな気配に気づいたかお顔を上げると、意外なことには…小さく微笑った七郎次であり。強がり半分かなとの懸念を寄せれば、そんな笑みを浮かべた口元が、
「思い出したことがあって。」
勘兵衛へとそんな風に切り出した。視線は落としたままであり、思い詰めているようにも見えたことを案じながらも、今は黙って語り始めるのを待っておれば。
「母がね、あの事件が報じられたときにこう呟いたのですよ。」
―― 何の遺恨もない人を、迷いなく刺してしまえるなんて、と
あの事件とは、皆が集まっていた先程、ついつい話題となっていた高額現金強奪事件の話だろう。さっきは“あくまでも単なる好奇心から話題にしたのだ”と決着させたお話だったけれど。
「ああまで無駄なく行動出来るなんて、
きっと綿密な計画を立てて執行された強奪事件だと思われますから。」
だとすれば 母が懸念したように、犯人たちは迷う事なく、暗証番号を言えと詰め寄って、警備員さんを刺したり殴ったりしたんでしょうね、と。何とも淡々と続けた彼女なのへ、勘兵衛の方こそ険しい顔つきとなってゆき、
「……シチ。」
「わたし、思い出してしまってますから。」
もういいと。その先はもう言わなくていいとの、制止の声を擦り抜けるようにして。普段よりも低められた白百合さんのお声が、ぽつりと抑揚なく呟いたのへ。そんな少女のか細い肢体を、日頃と違っての迷いなく、雄々しい腕が捕まえ、頼もしい懐ろが有無をも言わさず…彼女の意志ごとという強引さで抱き込める。
「 勘兵衛様?」
「言わずともよい。」
そういう時代だったからとか、そういう立場に置かれたのは望んでのことじゃないだろうとか。通り一遍の言葉を並べるのももどかしい。自分も…そしてこの子の魂も、かつては何の遺恨もない相手を問答無用と斬り払っていた軍人として生を紡いでおり。戦火の中においての職業として課せられたこと、それが“侍”なのだと、ともすれば胸を張ってさえいて。やがては、そんなもの ちいともお偉くなんかないと、ちゃんと理解もしたろうし。だからこそ、死を誉れと思うなと勘兵衛が厳しく口にしていたのもようよう判る身となったのでもあろうけれど。それでも…母上が口にした何げない感慨を、だが、そうとは受け取れなんだのだろう事は明白で。
惨いことだという真っ当な真理と、
人はそういう非道をこなせるのだという現実と
そのどちらもを理解出来、
だが、それらが雪崩込んだ“今の彼女の心”はあまりに幼くて。
それを理解した刹那、この子がどれほど心揺らしたかを思えば、それこそ居たたまれない勘兵衛でもあって。
「傍にいてやれなんだのが不甲斐ない。」
「勘兵衛様…。」
この小さな肢体の中に。様々なことを思い出しはしても、まだまだ打たれ強さなぞ到底足りていなかろう胸底に、どれほどの嵐が吹き荒れたのだろうか。この手がそれを為したわけでなし…なぞと言ったところで、単なる おためごかしにさえならない愚言だと判る。前世においての人との縁や絆を思い出しただけでなく、その背景をも想起できる身となったこと。今までは単なる記憶の一部として、それこそ いつか見た夢の内容のようなものとして、蓄積されていただけだったに違いない。それが突然、牙を剥いたのだ。当時だとて、生半可な覚悟で駆け抜けられた日々ではなかったはずであり。そんな修羅場を、選りにもよって…こうまで繊細な存在へと転生した身が受け止めることとなろうとは。時折通り過ぎる車も、それへ乗っているのだろう人の目も気にする余裕などないままに、
「すまなんだな。」
「…勘兵衛様。」
謝るというのもどこか理屈がおかしいこと。そのくらい判っているがそれでも、言葉が満足に浮かばない。今度こそは護りたいと思っていたはずなのに。どうしてこうも、肝心なときほど間に合わないのか。
「勘兵衛様。」
きつく抱き過ぎたか、もう一度名を呼ばれ、だが、逃がしたくはないとでも思うかのよに、腕が動かぬ壮年が。それでも…何とかして覗き込んだ胸元には、ゆるゆるとかぶりを振る七郎次の細おもてがこちらを仰ぐように見上げており。
「大丈夫です。」
間の悪いことに、傍らの通りを走り抜けた車があって。それで、少しほど輪郭が曖昧になりかけたものの。
「わたしは、それほどか弱くはありません。」
風に舞い、頬にこぼれた金絲を白い指先で掻き上げて。その手が再び、勘兵衛の腕へと降ろされて。
「今は…そう、ちょっぴり強がってもおりますが、でも。」
スーツの生地を白い手がきゅうと掴む。幼子の精一杯の抵抗のような、その儚い力は、例えば痛みへなんて到底届かぬ代物だったけれど、
「“大丈夫”になります。」
ついついこの身が衝き動かされては、危ないあれこれへ飛び出してもおりますが。それって“侍”だったからじゃなく、義憤からとか…女の身じゃあ何も出来まいと思われるのは癪だからとか、そういった気持ちが沸き立っての、黙ってられなくてだと思っておりますもの。
「勘兵衛様の背中をお預けいただいてた、
少しは頼もしかった私に戻りたいと、…。」
「シチ。」
ああ、この子はどれほどに、と。我が身を削ってでも、どれほど この私を甘やかす気かと。かつても時折ほろ苦く感じたこと、既にこなしておいでじゃあないかと。そうと思えばますますと自身が不甲斐なく。まるで、こうすることで彼女が尚の自戒自損を紡がぬようにと、必死になって封じるかの如くに。ともすれば すがりつくようにと、愛おしくてならない痩躯を、ただただ抱き締めてしまった勘兵衛であり。そんな二人の姿を、さっと照らしてのあっと言う間にシルエットにして。生ぬるい風の吹く中、誰とも知らない人の車が素早く傍らを通り過ぎていった、初夏の宵の一景だった
〜Fine〜 11.05.14.
*シチさんがすべり止めに受けた公立高校の名前を忘れました。
つか、ちゃんとメモっておけば良かったのにぃということが結構あります。
まさかここまでお話が増えようとはねぇvv
YUN様、砂幻様、楽しい設定をありがとうございましたvv
ちゃっかりと我が物顔で便乗してますのに、
応援のお言葉なぞ下さる勿体なさが身に染みます。
(だったら設定くらい覚えてろ…ってですよね。うう)
*……という寄り道はさておいて。
何だか大仰なお話になってしまって、
書いた本人からして驚いておりますが。
いや、だって。
侍だった記憶を持ちながら、
でもでも今は、平和な日本で女子高生な彼女らなワケで。
SFやゲームじゃないんだったら尚のこと、
この手のことへ ハッと気がつく瞬間も、
惨い話ながらあるんじゃなかろかと。
これ以降は気にしないで頑張るシチちゃんだと思いますが、
今くらいは勘兵衛様に思い切り反省してもらいましょう。
めるふぉvv


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